「彼女、お借りします」の気持ち悪さはどこから来るのか。

 『彼女、お借りします』も気がつけば4話まで観ていました。3話切りせず観ているけど、イマイチ主人公にもキャラクターにも感情移入できない作品だなと感じています。そしてある種嫌悪すら感じる。先日金曜ロードショーでトレンドに乗った『聲の形』のキャラクター達より余程ついていけていない。しかし続きは気になるし、ある意味こういうキャラクターがどういう着地点を選び取るのかというのは興味深く面白いとは思うので、作品を叩く意図は無いと先に断っておきたい。

 

 

 一般的にラブコメにおいて主人公が抱えるヘイトとは、代表的なのは自分の行動や相手の思いをスルーする「ヘタレ」や複数の相手にいい顔し続ける「優柔不断」といったものだろう。あとはSchool Daysの誠に代表される「クズ」というのもあるだろう。

 

 『彼女、お借りします』における主人公「木ノ下和也」は、ラブコメ主人公として多少これらの要素を内包しているのは仕方が無いと思うし、これからそういう展開があることは容易に想像がつくが私の抱えている「気持ち悪さ」からは少し遠いように思う。あとは、童貞臭い言動や行動・勘違いといった主人公が、水商売の女性にガチ恋するというストーリーが嫌いというのが挙げられる。これは正直否めないが、ただそれだけでは無い気がする。

 

では何か、私的には「ストーリーの結果、キャラクターが成長している気がしない」というところなのでは無いと思い始めた。

 

本作においては題材上、主人公が金銭を払って彼女役のヒロインとの時間を過ごすという構図はどこまでも変わらない。「ちんこで恋」とかそういう感情問題以前に、主人公はどこまでも恋では無い関係に時間と金銭を使い続ける。一方のヒロインもその関係を享受しつづける。ただその関係を不自然なモノとして扱わずラブコメの一片として扱い、他方で主人公はもうひとりのヒロインである麻美ちゃんにワンチャンあるかもみたいな優柔不断を決め込んできたりする。主人公は理想の彼女として付き合った元カノと理想の彼女としてのレンタル彼女を同じ天秤に載せて測っているのである。

 

「こんなクズ嫌だよね?」以前に、その2つを同じ天秤にかけてしまう勘違いな主人公が救いがなく可哀想に見えてしょうがないのである。ヒロインも受け入れているから余計にそれが際出つ。祖母をダシにして彼女をレンタルしつづけるのは現状だと共依存ならぬ、共逃避の関係で成り立っている様に見える。

 

 原作を未読なのであまり細かいことは言えないのだが、ここまで観ただけだと「理想の彼女」というフレーズを軽く扱いすぎたのではと感じている。昔の彼女というものが理想で無くなる区切りを作らないうちに、もうひとり理想の彼女(しかもレンタル)を作ってしまったということが、主人公という人間から芯が抜けて優柔不断…いや方向性の見えないキャラクターとして強く印象付けられう原因であるように思う。

 

 別にレンタル彼女に恋したって良いのだ。ただそれが「可愛い」から好きという安直なところから主人公が抜け出せていない。本当の恋では無い関係から始める以上、そこはハッキリさせてくれないと気持ち悪いなと思えてきてしまう。