映画『地球外少年少女』感想


www.youtube.com

 最初に言おう。「この作品はもっと評価されるべき」と

アニメーターであり、電脳コイルで初監督を務めた磯光雄氏による最新作「地球外少年少女」。劇場版でありNetflixで同時配信されるというとても今風の配信形態での作品である。劇場版は前後半に分かれているが、各編3話を束ねたものであり、各話ごとに主題歌が流れる。尺としてはとても独特だが、1クールだと少し長く中盤間延びした印象を感じさせる事の多いアニメが多い中でこの尺は実は結構良いのかもなと見ていて思った。

 

舞台は近未来、誰もが宇宙に出かけられる時代であり、AIやロボット・ドローンといったものが身近にある。でもリアルタイム配信(Youtuber)・腕に表示されるスマートフォン、それに身近な企業をモチーフにしたロゴが作中に散りばめられた世界観は未来でありながら親近感を感じさせ既知の世界観で不安なく物語というゆりかごへと視聴者を導いてくれる。

 

作品の舞台は日本の民間宇宙ステーション「あんしん」。そこで暮らす月生まれの14歳で主人公の登矢、その幼馴染で心葉。二人にはかつて知能が上昇に達し危険視され処分されたAI「セブン」によって作られたインプラントが埋め込まれている。このインプラントには欠陥があり「セブン」が処分された事で修復もできず、登矢はハッキング技術を磨き幼馴染と自分の生存の為には、かつてセブンが陥った「ルナティック」の再発も厭わないと口にし、また「セブン」を処分して自分達の生存を阻害している地球人に対して不信感を抱いている。

 

そんな彼らのいるステーションに地球から3人、姉妹の姉で宇宙チューバーの美衣奈と弟の博士、AIを規制する立場の国際組織UN2.1のハッカーである大洋がやってくる。到着直後、彗星の衝突による宇宙ステーションのトラブルが発生し、子どもたちは反目しあっていた少年少女達はお互い認め助け合い始める。普通SFまして宇宙ともなると多くの場合登場人物は大人となることが多く、命の危険と隣合わせであるという事から緊迫した空気で物語が進行しがちだが、本作の前半はとてもコミカルに物語が進む。これは登場人物が中学生であり、子供で未熟である事が前提としてあるのもあるのだが、比較的ギャグっぽい要素を入れつつ登場人物のキャラクターや性格を視聴者に自然と受け入れさせるクッションの様な印象を受ける。

 

そんなフワッとした感じで進んできた前半に対して後半は一転ガチガチのSFへと変貌する。再度接近し迫ってくる彗星でありかつてのセブンである「セカンドセブン」、知能リミッターを外していく中で、進化を遂げていく主人公達のAIドローンのダッキー・ブライト。彗星の地球への衝突をやめてくれる様にAIと対話を試みる少年少女達。人間達にとって都合の良い情報のみを与えてきたAIに対してインターネットを経由して全てのデータを見せてゆりかごの外へと飛び出し進化を促す。そしてAI「セカンド・セブン」の真意に触れ張られてきた伏線が繋がり収束する。全てが繋がり、どこまでAIは予測し、そしてどこまでこの物語は繋がっているのだろうかという夢心地的な気分で作品は終劇した。

 

正直なところ全てを理解できる気はしないし、もう一周してから読み返したら感想の粗が沢山出てきそうなところだがひとまず最後まで書かせて欲しい。

 

本作は「予告された未来を変える」というSF世界においてありふれ過ぎて使い古された物語でありながら、「AIと人の関係」、「AIが追求すべき人の幸福とは」、「人類と人間」、「地球と宇宙」といったテーマを内包している。人はまだ宇宙だけでなく森羅万象との関係において「今の地球から見た外の世界」くらいのごく一部の視野においてしか認知し思考できていないのは?という、人類がAIに対して持つ不完全さへの疑念や問いかけをそのまま人間に問いかけてくる。宇宙やAIといった未知に対してSFの世界は認知できない外側の世界として恐ろしく・危険なディストピア的な世界を描く作品が多い中で、本作は未知に対して最大限肯定的に好意的に受け入れ、全てを既存の立場や時間というゆりかごを超え様々な視点から見ることによって未来は形作られていくのでは。というメッセージを感じる作品である。

 

正直好みは分かれる作品だとは思います。意図的に政治や大人といった要素を排除し、中学生という主人公を据えて物語を進行することで視聴者に素直な立場での視聴を求める作品なので現実的なシュミレーション作品を求める人にとっては物足りなさを感じるでしょうし、Netflix独占で情報が少ない中で後半尺が足りず説明しきれていないよなと思うところもあります。ただ全てを説明したアニメが面白いかというとそうでは無いのをエヴァを初めとした作品から我々大人は知っています。本作は全てを理解しなくても視聴者「面白い」と思ってもらえればそれだけで大成功なのでは無いでしょうか。そしてその感情は是非登場人物と同年代の子どもたちに味わってほしいなと個人的には思うのですが、そう考えると意図的な外した要素が逆に子供にとっては受け入れやすい作品となる為に必要な気すらしてしまいます。

 

私は本作に触れて、「やっぱアニメって面白いな」という気持ちになりました。かつて小学校高学年の自分が電脳コイルを見て圧倒的な世界観に引き込まれ、大人になった自分がウェアラブル端末と身近な業界で仕事をしている事を考えるとこの作品を一人でも多くの人が見てくれたら、良いのと思わずにはいられません。