映画『Fukushima 50』 感想

震災から10年経つというのだから早いものである。仕事を終えてテレビを付けると福島第一原発事故をテーマにした映画「Fukushima 50」が録画中だったのでなんとなく再生ボタンを押し、最後まで観てみた。

 

物語としては、当時福島第一原子力発電所の所長であった吉田氏と特に被害の大きかった1号機にいる伊崎の二人にスポットを当てており、当時の状況の流れを「現場」という目線に寄せて描いている。揺れに対して的確に対応するも、全電源を喪失し追い込まれていく現場、それを理解しない東電本店・首相(政府)という構図で最後まで話は進む。

 

最後まで観たが、ラストが割と唐突に終わった感があり、観終わった時の後味はあまり良くはないというのが正直な感想だ。現場視点であの事故を描くというのは、タイトルからも分かっていた事であるが、物語の〆を吉田所長の葬儀に伊崎の「語り継いていく」という言葉で終わらせてしまうというのは、引っかかるものがある。

 

何故なら原発事故は未だ終わっていないからだ。いや冷却状態になり落ち着いた状態を締めとするならそれでも良い。でもそれならそこまでをしっかり描いて欲しかった。更に言えば、日本に住む誰もがあの原発事故に直面して立場は違えど当事者として対峙していたはずだ。現場の人間だけのものだったかの様に終わらせては結局現場の独りよがりもあったのでは?と視聴した人は思うであろう。東電本店や首相を悪者として描くというのは一見分かりやすいが、本来善と悪はそんな単純なものでは無い。世の中の多くの映画がそれでも受け入れられるのは、自分が当事者では無いから受け入れられるのである。

 

映画として全体的に描きたいものは分かるけど、視聴者視点に立てていない映画なのではと感じるところも多かった。何がしたいのか分からない海外メディアや米軍といった視点の発言やシーン、登場時から怒鳴り散らすだけの登場人物達、用語に関してももう少しフォローがあっても良いのになと思った。あとタイトルのFukushima 50ってラストの字幕以外で出てこないですよね。。。

 

監督に震災・原発事故に直面したいた視聴者にも寄り添った形で震災というものを振り返る様な映画だったら結構流行ったかもなと思ったが、公開が20年3月となっていてちょっと可哀想だなと思いました。本当生きていると何が起こるかわからないですね…