神様になった日に何故ついていけないか

 麻枝准が原作を書き、P.A.Worksがアニメ化するシリーズ、Angel Beats!Charlotteを経た3作目ということで期待されていたオリジナルアニメ「神様になった日」を完走した。

 

正直、間違いなくワースト1位の出来だった。

 

といっても見ていない人はそうは言ってもまぁまぁだったでしょ?と思うかもしれない。麻枝准の脚本ゲーム・アニメにおいては、前半というには長すぎる日常ギャグパートや露骨に泣かせて御涙頂戴する様なシナリオが多く、元々尺が限られるアニメのシナリオに向かない等と言われることが多いからである。こうした点はゲームにおいてはそこまで目立つことなく、むしろエロゲ・ギャルゲーにおいてそうした脚本を描いてきた評価されてきたという背景があるので、麻枝准ファンというほどでなくても過去のKey作品を好きなオタクなら擁護にまわりたくなるからである。そして私もその一人である。

 

本作においても神を名乗るヒロインが現れ、ルールの崩壊した寒い麻雀回等ギャグパートでラスト数話に話が動き始めると色々ツッコミたくはなりつつも麻枝准だからな。と思っていた。実は「世界が終わる」とかいう重要伏線ワードが実は世界ではなくヒロイン個人のことであったというスケールダウンも解せないけど、そんなものかと思いながら見ていた。普通のオリジナルアニメであれば間違いなく切ってるが、それでも最後に気持ちよく終われるエンドを提供してくれるのが麻枝准の魅力であり、それさえ見れれば満足だったからだ。

 

エンドが最悪だった

 

そして迎えた最終回。主人公の言動が気になりつつも、きっとご都合的な奇跡かなにか起きてひなが元に戻って幸せなエンドと思っていた。しかし本作において描きたかったのは、奇跡なんてなくて元に戻らないという事らしく、ひなは元に戻らないけどひなを連れ戻せて良かったね。というエンドだった。友人達の名前を思い出し、確かに幸せな…

 

いや本当にそうか?と違和感が決定的なものとなった。過去を忘れ、自我に乏しいひなは子供に近い。そうした人間を過去の友人だからと連れ戻して、主人公はヒロインを好きで幸せです。なんていうのは、一方的な主人公達のエゴで自己満足によるものにしか見えないのである。世の中においては、自己で十分な判断・責任能力を持たない人間は子供や禁治産者等があげられるが、そうした相手に対して愛情だから相思相愛だから等といっても多くの人はそんなのは軽蔑の対象となるだけだろう。脚本として意図まで決めつける気はないが、陽太が施設にいるひなに対して強引さや感情をぶつける描写が多かった事でそう見える様に補強してきており、脳裏に浮かんだのはDVや児童虐待といった世界だった。程度には個人の認識差があるとはいえ、ヒロインの主体を無視して話が進んでいるのは明らかで嫌悪感があったと言わざる得なかった。正直残念だった。